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ホノルルマラソンの意味
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12月9日、スタッフ全員でホノルルマラソンを完走する事が出来た。
まずは応援して下さったお客様、取材しに同行して下さったレミントン様、ご夫妻でホノルルまで駆け付けて下さった川口様、長野合宿中にお世話になった晴夫君、常にパソコンでスタッフ皆のマラソン状況を確認してくれていた雄一郎、前日に全員分のアルテミスロゴ入りポーチを作ってわざわざ届けて下さった佐藤夫妻、まだまだたくさんの方達の励ましと声援に感謝いたしますm(__)m
本当にありがとうございました。
「マラソン走ってどうだったの?」
と、たくさんの方達から聞かれます。
そこで、今回の総括として少し思う事を書かせて頂きます。
それを話すと長くなりますが、そもそも何故走ろうと思ったか?
「生きている事の実感〓」
ちょっと大袈裟ですよね(笑)
今から7年位前に癌で亡くなった建築士の従兄弟(46歳)が、余命半年と言われている中で毎日の様に寝る時間を惜しんでartemisの設計に、その最後の時間を費やしてくれました。
入院して安静にしていれば、その半年間の痛みは多少違っていたのかもしれませんが、彼は毎日モルヒネを貼り痛みに耐えながら最後まで弱音を吐かなかった。
何故なのか?
3年前、おじさんが亡くなった。
日本全国の山の中に入っていき、送電線の鉄塔で作業する様な屈強な肉体の叔父さんだった。
真夏日の昼間、築地の国立がんセンターを退院した叔父さんを迎えに行くと、山程の荷物を抱えているのに「少し歩いて行くか!」と言われ、結局1時間半位歩いた事がある。
叔父さんは肺がんで、たぶん普通に歩いていても息がきれる位の肺活量しか無かっただろうに、息がきれたのは健康な俺の方だった。
途中、無理しないでタクシー乗らない?と何度も言いかけたが、その場の空気感が、そーさせ無かったのかもしれない。
叔父さんは無言だったが、まだまだお前には負けん!と言われている様な気がしたのを覚えている。
その後、おじさんと歩く事は無かった。
本題に戻ろう。
この2人に共通点があるなら、死ぬまで走り続けていたという事だろう。
そして、走っている時にこそ「生」を実感していたんでは無いか。
そんなこんなで、走りたくなった。
答えは無かったが、走りきった。
また答えを探せばいい。
また走りたい。
☆artemis 西部俊一☆